20年ぶりに再会した患者さん
今年は世界初の体外受精児ルイス ブラウンが英国で誕生して40年、5月には生誕40周年を記念して東京で本人も出席されて記念会が行われる予定とのことで、私も出席を予定しております。。このような記念すべき年である今月に私にとって忘れがたい一人の患者さんが当院を訪問されました。20年前に病院勤務をやめて小さなクリニックの隅で培養士と2人で体外受精を始めたばかりの頃です。ある病院からの紹介で、体外受精を薦められて来院した患者さんはいわゆるPCOで採卵とともに重症な卵巣過剰刺激症候群〔OHSS〕を発症。当時はこのクリニックが5床の入院施設がありすぐ入院、受精卵は移植はせず全凍結としましたが、夜間に卵巣血管の一部破裂、腹腔内に出血が始まり血圧低下、朝を待って搬送。前の勤務先のK病院で以前の同僚の医師たちとともに緊急の開腹手術を行い救命した患者さんでした。そしてその1年後無事に凍結卵移植で妊娠分娩された症例です。そのとき生まれた娘さんが、今年大学生となり、自分の不妊治療の経験を語ったところもっと詳しいことが知りたいといわれ、当時私が書いた本(抱きしめて我が家へー不妊治療に成功するために;海苑社出版、現在は絶版)に当時の治療の手記を寄せたことを思い出してその本がほしいと電話されてきたのです。残念ながら本は1冊当院に残っているのみで、お分けする事が出来ませんでしたが、コピーをお渡し、しばし20年前を思い出して歓談いたしました。日本での恩師鈴木雅洲教授らの体外受精第1例目より35年、私たちの新潟大学の第1例目より33年、多くのARTに依る妊娠・分娩に出会ってきましたが、この方のように忘れえぬ症例も少なからずあり、今でも苦しみながらも不妊治療を続けていた方たちとの多くの思い出と交流は不妊治療の医師としての宝ともいえます。